フェンダーの歴史
フェンダー(Fender Musical Instruments Corporation、旧社名Fender Electric Instrument Manufacturing Company)はレオ・フェンダー (Leo Fender) によって1940年代に創業された楽器メーカーである。本社はアメリカ合衆国アリゾナ州スコッツデールにあり、製造拠点をカリフォルニア州コロナ、メキシコ、韓国、日本に持つ。
1945年、レオ・フェンダーはドク・コフマンと共にK&Fマニュファクチュアリングを設立。 スティール・ギターとアンプの製造を開始する。 しかし1946年ドク・コフマンとの共同経営は解消、1947年社名をフェンダー・エレクトリック・インストゥルメント・カンパニーに改名する。
エレクトリックギター、エレクトリックベース、アンプの製造販売を行う会社としてはギブソン社などと並んで世界でも屈指の企業として認識されている。また、ソリッドボディのエレクトリックギターを世界で初めて量産した事でも知られる。
エレクトリックギターは、1920年代後半から数多くの製造業者によって作られていたが、それらの多くは胴体の部分が中空のホロー・ボディ(hollow-body) と呼ばれる構造であった。また、ソリッド・ボディ (胴体部が中空でない構造) であっても、リッケンバッカー社のハワイアン・ギターのように特殊な奏法向けであったり、ポール・ビグスビー製作の通称ビグスビーギターのようにオーダーメイドであったりしたため量産型のソリッドボディのエレクトリックギターは存在しなかった。レス・ポールもソリッドボディのギターの開発を進めていたがギブソン社からレスポールモデルが発売されたのは1952年である。
フェンダーは1949年ソリッドボディのエレクトリックギターエスクワイヤー(Esquire)を発表。 1950年にはブロードキャスター(Broadcaster)を発表、1951年にブロードキャスターをテレキャスター(Telecaster)に改称、その理由はグレッチ社のドラムにスペルこそ違うが同名の商標(Gretsch社はBroadkaster)のモデルが存在したからである。対応を迫られたフェンダー社は極短期間だがヘッドのデカールのモデル名を切り取って販売を続けた。これが俗に言うノーキャスターである。実質的にはテレキャスターが世界初の量産型のソリッドボディエレクトリックギターと言える。同年世界初のエレクトリックベースであるプレシジョンベース(PrecisionBass)を発表。フレットを採用し正確な音程を得る事ができるプレシジョンベースは当時革命的であった。1954年にはストラトキャスター(Stratocaster)を発表。その後も1958年にジャズマスター(Jazzmaster)、1959年にはジャズベース(JazzBass)、1961年に当時の最高級機種であるジャガー(Jaguar)を発表する等、現在も多くのミュージシャンに愛用されている名器を生み出した。
フェンダーのギター/ベースの特徴としてソリッドボディの量産以外にボルトオンによるデタッチャブル・ネック方式が挙げられる。 従来のセットネック方式に比べ格段に修理等が容易になり、この方式は現在多くのギターメーカーで採用されている。
エレクトリックギター産業の先駆者として多くの楽器を発表したフェンダーだが、1965年にCBS社に売却される。また、同年V.C Squier社を買収する。同時にレオ・フェンダーは経営者から技術顧問として同社に残るも僅か数年で退社している。健康上の理由と新たに開発した技術を新体制のフェンダー社が積極的に採用しなかった為とも言われている。
1970年代以降、グレコ等日本のメーカーがフェンダーギターのコピーモデルを低価格・高品質で製造し始め、自社製品の販売数低下を防ぐため1982年にフェンダージャパン(Fender Japan)が設立された。フェンダージャパンはグレコブランドを持つ神田商会が発売元となって発足され、製作もグレコと同じく旧富士弦楽器製造(現フジゲン)、(後にダイナ楽器、東海楽器へ移行)が担当しており、実質的にはグレコのフェンダー・コピー部門が正式なライセンスを得て日本国内で製造することになる。しかし一方では1970年代後半にはフェンダー社では自社でのギター製作に於いて旧型の製造装置で精度の低いものしか製造が出来ず、またコストダウンに走っていた為、品質面では日本製のコピーモデルより劣ったものとなっていた。そこで当時の旧富士弦楽器製造の技術指導により日本の最新鋭の製造技術を導入して品質を回復していったという事情もある。
フェンダージャパンはストラトキャスターなどの定番製品のリイシューのみならず、USAに先駆けてジャズマスター、ジャガー、ムスタングなどのマニアックな機種をリイシューしたり、オリジナル・モデルを数多く開発したりで、海外のギター・キッズからも注目される存在でありながら有名ミュージシャンが数多く使用していることはあまり知られていない。
その後、メキシコを生産拠点とするフェンダーメキシコ(Fender Mexico)も設立された。 現在は主にハンドメイドで高品質なギター/ベースを製作するフェンダーカスタムショップ(Fender Custom Shop)や廉価ブランドのスクワイヤー(Squier)等も存在する。
現在、傘下のブランドにはギルド、ジャクソン、シャーベル等がある。
クラレンス・レオニダス・フェンダー(Clarence Leonidas Fender, 1909年8月10日 - 1991年3月21日)はアメリカ合衆国の弦楽器製作者。フェンダー・エレクトリック・インストルメント製造会社、現在のフェンダー・ミュージカル・インストルメンツ株式会社の創業者。その後Musicman(現在はEarnieBall社に買収されEarnie Ball Musicman)、G&Lミュージカル・プロダクツ(G&Lギター)を設立した。
フェンダーはカリフォルニア州フラートンで生まれ、若い頃から電気工学への関心を示した。高校時代彼は趣味としてラジオの製作、修理を行った。1928年に高校を卒業しフラートン短期大学に進学する。そこでは会計学を専攻し、卒業後カリフォルニア州ハイウェー局で会計係となる。数年の勤務後彼はラジオの修理業を始める。彼はクレイトン「ドクター」カウフマンと共にラジオの修理業からエレクトリック・スチール・ギターとアンプの製造へ手を広げた。カウフマンとの事業を終え、フェンダーは「スペイン式」ソリッドボディ・エレクトリックギターのアイディアに興味を持った。
1950年に彼はジョージ・フラートンと共にエスクワイヤーとブロードキャスターを発表する。それらはフェンダー社によって製造された最初の標準的エレクトリックギターであった。ブロードキャスター(Broadcaster)の名称はグレッチ社の商標(Gretsch社はBroadkaster)であったため、しばらくの間ヘッドのデカールのブロードキャスターの部分だけを切り取って販売。これがいわゆるノーキャスターで、その後当時人気を博しつつあったテレビにあやかってテレキャスター(Telecaster)として発売された。1951年にはプレシジョン・ベースを発表し、それは演奏者に最も影響を持つ唯一の楽器となった。
皮肉にもフェンダー自身はギター演奏を学んだことがない。(高校時代にはサクソフォンを演奏した。)しかし彼は南カリフォルニアにおけるミュージシャン・コミュニティに対して密接な繋がりを持っていた。
彼のギター作成法はネックとボディを別々に作った後ボルトで接合するというものであった。その方法は他の競争者(主としてギブソン社)に対して安価で修理が容易であるという利点があった。フェンダーの方法は1950 - 60年代の楽器製造に於いて革新的で効率的な製造が行え、それはヘンリー・フォードが1920 - 30年代に自動車製造で成し遂げたものと等しかった。
多くのミュージシャンがテレキャスターやストラトキャスター、プレシジョンベースを採用した。フェンダーは1960年代にかけて新しいギターやベースを作り続けた。彼は1965年に健康問題から会社をCBSに1,300万ドルで売却した。
レオ・フェンダーはパーキンソン病の併発症で1991年に死去した。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
